前回は新小平駅まで歩いたので、今回(5/19)は、新小平駅からスタートし、箱根ヶ崎(箱根ヶ崎宿)を目指す。
新小平~東大和
長時間歩きをやっているとしばしば問題になるのはお手洗いをどうするかというものだが、この日はスタート地点である新小平駅で済ませる計画だったのに、うっかり忘れてしまった。開始早々、頭の中は「どこか用を足すのにいい場所はないか」という考えでいっぱいになってしまった(情けない…)。
幸い、歩いて10分ほどの場所にコンビニが2店舗続けてあったため、問題は解消した。そこのお手洗いはとても清潔で素晴らしかった。店員さん、ありがとうございます。
街道に沿って小平を歩いていると、中宿、上宿(かみじゅく)という名前のバス停を見つけた。かつてこの辺りには小川宿があったらしいので、その名残だろうか。珍しい地名は、また後程登場する。
田無付近から青梅街道はずっとまっすぐ続いていたが、写真の場所で右にそれていく。西武拝島線の高架が写っているが、かつてこの地点には青梅橋があったそうで、ここから東大和市に入る。
東大和市駅を過ぎ、商店街に入ってまもなく、自転車屋さんの入り口に目をやると、なんと看板猫がお出迎えしてくれた。少し近くに寄ると後退してしまったが、わざわざ奥から出てきてくれたということは、仕事のできる立派な猫様ということだ。なかなか貫禄のある猫様である。
青梅街道を進んでいくと、奈良橋(東大和市)で突き当たるので左に曲がる。ちなみに北側には狭山湖と多摩湖があり、西武遊園地もあり、なんだか突然東京っぽくなくなってきた。そしてこの場所から、進行方向右手には必ず青々とした山がある、という景色を歩いていくことになった。
奈良橋に芋窪と、面白い地名で、かつ、ところどころに思わず寄り道したくなるような神社が現れるので、街道歩きはとても楽しいものになった。奈良橋は奈良に由来しているのかと思ったが、由来は不明であり、芋窪については芋が沢山とれた地域なのかと思いきや、湧水のある窪地という「井の窪」が由来とのこと(あくまで説のはなし)。
武蔵村山~箱根ヶ崎(瑞穂町)
そうこうしているうちに、武蔵村山市に入った。石神井公園からスタートし、こんな遠いところまで来てしまうとは…!少し感動した。
武蔵村山に入る前に、「なかとう」という地域があったので、これはもしや、あの「なかとうか?」(知人の苗字)と期待したら、こちらの「中」藤だった。友達にこれ見よがしに話そうと思ったが、違ったので黙っておくことにする。
歩いていて視線を真っ直ぐ遠くに向けると、以前よりも山影が近づいているように感じたので写真を撮ってみた。この日もあいにく曇りなので空と山の境が見づらいのだが、おわかりいただけただろうか。
武蔵村山市を歩いていると、武蔵村山織物協同組合と書かれた建物を見つけた。この辺りは昔織物で盛んな地域だったのだろうかと思い、調べてみると、「村山大島紬」という織物があることを知った。織物の歴史について詳しくは村山織物協同組合のWebサイトを参照されたい。
そして何やら面白いものを発見した。それも「ぶたの駅」というものだ。当初は精肉店なのかなと思ったが、武蔵村山金井線と書いてあるし精肉店の外見もしていないので、何か歴史的なものだろうかと考え直し写真を撮ったのだが、あとで調べてみると、当初思った通り食肉会社ではないか。
まあでも面白いものに出逢えたので良しとする。
面白い・珍しい地名Part 2ということで、青梅街道をひたすら歩いていると、「宿」「岸」という一文字の地名に遭遇した。街道歩きをしていると、交差点の信号機の横に白地に青字で地名標識があるのをよく目にするのだが、一文字だけというのはおそらく今まで初めてのことだと思う。
写真はちょうどその地域の案内図と風景だ。山に囲まれている地域なのに岸という地名は、なんだか不思議なものだ。
そしてとうとう瑞穂町に入った。小学生の頃、東京の市区町村を覚えるという授業があったが、そのときはとても遠い場所のように感じていて永遠に訪れることはないだろうと思っていたのに、こうして足を踏み入れてしまった。歩き旅だとなんかこういった古い記憶が呼び起こされる(歴史ある街道を歩いているからだろうか)。
日光街道との合流地点を通り過ぎると、箱根ヶ崎、今回のゴール地点に到着した。今回はだいたい13km歩いた。前回より短い距離なので、あまり疲れを感じず終えることができた。
おまけ
青梅街道歩きを終えた後、高麗(「こま」、こうらいではない)へ行った。
巾着田を散歩し、その後手打ちうどん(お昼ご飯)を食べた。巾着田は一面緑で夏一色だったが、秋になると彼岸花でいっぱいになり絶景になるそうなので、またリベンジしたい。