日本は国民主権の国ですね。義務教育のときから憲法の原則を徹底して叩き込まれるので、今これを読んでくださっている皆さんでしたら、「何をいまさら当たり前のことを!」と思っていることでしょう(笑)
「国民に主権があるんだから、政府や国家の判断なんて何でもかんでもひっくりかえせるんだ!」
….本当にそうでしょうか?
政府や国家の判断って、それに不満を抱いた個人がたった一人でひっくり返せますか?あるいは、たとえばあなたが国のやり方に何かしらの不満を抱いていたとして、他にもおなじような人がたくさんいるだろうという確信をもてますか?
さらに言えば、主権者である国民の意思を、はっきり「これだ!」と決めることってできるのでしょうか。そもそも国民の意思なんて存在するのでしょうか…?
突き詰めると、ますますわけ分からなくなってきますよね….🙁
古くから憲法(学)では、このような問題、つまり「国民」の解釈を考えてきました。今回はそれを紹介しますね。
♠豆知識♠
民主政と民主制。漢字が違いますが、意味はほぼ同じといって差し支えないでしょう。
世界史の教科書や資料集ですと「民主政」が多く使われています。これは、たとえば古代ギリシャの政治の主体を説明する際に、「王政(=王による政治)」→「貴族政(=貴族による政治)」→「財産政治」→「僭主政治(=独裁者による政治)」→「民主政(=民主政治)」….というように、便宜上による理由でしょう。(浜島書店『世界史詳覧』(2016)による分類)
「民主制」は、民主的な政治制度(=システム)といった意味合いとなりますが、いずれにしろ、両者には大差ないですので、今後は「民主制」と表記していきます。
Ⅰ 国民=有権者
まず1つ目の考え方として、国民とは選挙権を有する者だけである、とするものがあります。したがって、選挙権のない天皇や未成年者は、ここでいう「国民」から除外されることになります。
なぜ、現に選挙権を有している有権者だけなのでしょうか?
→それは、
①主権=憲法をつくる権力(憲法制定権力)であり、
②憲法制定権力は、一定の資格を有する国民(=選挙権がある人々)が持っているからだ!という考えに基づいているからなのです。
(→♦読むうえでの前提♦へGo!)
♣プラスα知識♣
憲法制定権力という概念は、フランス革命期の政治家、シエイエスによって唱えられました。
憲法ができる前の国家では、国王が最高権力者でした。「王の命令は絶対なのだ!」という論理がまかり通っていた時代です。
しかし、市民革命以降は、王様よりも上の存在である憲法が、立法・行政・司法に権限を与え、憲法の理念のもと人々を統治する(法の支配)というかたちに変わりました。
そしてその憲法よりもさらに上の存在、つまり憲法をつくることができる権力を持っているのが、国民であり、彼らが持っている権力のことを「憲法制定権力」と呼ぶことにしたというわけです。
♦読むうえでの前提♦
前回主権には3つの意味があるということを説明しましたが、国民主権でいう「主権」とは、国の政治のあり方を最終的に決定するという、最高決定権を指します。
(そして国民主権には、権力性の契機と正当性の契機という、2つの重要な原則・本質があるということも言いましたね。)
今回紹介する2つの考え方は、いずれも主権を憲法制定権力と同一視できるという前提にたって、考えを導いているので、
→今回は「最高決定権」=「憲法制定権力」という理解で読み進めてください。
この、国民=有権者という考え方は、国民主権の重要な2つの本質のうち権力性の契機、つまり国民が政治のあり方を最終的に決定する、いわば国家権力の究極の行使者なのだ!という方を重視するものです。
そして、これが直接民主制と結びつきます。
直接民主制の制度として、
・レファレンダム…(※1)
・リコール制…(※2)
があります。
しかしながら、国家というものは人口が多く国土が広大なので、現実問題として、(国レベルでの)直接民主制は不可能です。
なので、この考え方からは普通選挙・国民投票・命令委任…(※3)の原則が導き出されます。
(※1)レファレンダム
:政治に関する重要事項の可否を、議会の決定に委ねるのではなく直接国民の投票によって決める制度
(※2)リコール制
:地方公共団体の長や議員の解職請求や、議会の解散請求のこと
(※3)命令委任
:議員は選挙民の意思に拘束されるべき、とする考え方のことです。
命令委任によれば、議員が選挙民の意思に反する行為をした場合、議員の資格を失うなどの形で責任をとらされることになります。
Ⅱ 国民=全国民
2つ目の考え方として、国民とは天皇を除く国民全体である、とするものがあります。
→その理由として(というより1つ目の考え方の批判なのですが)2つあります。
①民主主義の理念に背く
もっと詳しく言うと、上の考え方だと国民=有権者なので、有権者しか主権を持たないということになります。すると、それは主権を有しない国民(未成年者)の存在を認めることになり、結果として、民主主義の理念に背く、ということですね。
②論理的に矛盾する
そもそも市民がいつ選挙権を取得するのかは法律で定められます(憲法44条)。したがって、憲法上の重要な概念である主権を、国会という(憲法によって権限を与えられた、いわば国民よりも)格下の機関が法律で決めることになり、それは結果として国民の範囲を決定することとなるわけです。それが論理的に矛盾してしまう、ということですね。
この、国民=国民全体という考え方は、国民主権の2つの本質のうちの、正当性の契機、つまり、国家権力の正当性の究極の根拠が国民にあるという方を重視するものです。
→もっと嚙み砕いて言うと、たとえばある法律が制定されたとしましょう。
内容は、「全国民は外出する際は、必ずマスクをつけなければならない」というものです(…ただいま国内でたいへんホットな話題で恐縮ですが…)。
その法律には、有権者のみならず、まだ選挙権のない生徒や小さい子どもまで従わなくてはなりませんね。
その際に、「どうしてこの法律に従わなければならないの?」という疑問に対して、きちんと説明をできるかどうか(正しい根拠があるか)、というのが正当性の契機ということになります。
そしてこの考え方が、間接民主制と結びつきます。
この考え方では、国民を漠然とした存在として捉えるので、そのような観念的な国民の意思を代弁するべく、議員という代表者が存在するのです。
この考え方によれば、命令委任は否定されます(=自由委任の原則…(※))。
それは、立法府(国会)の議員は選挙によって選ばれますが、彼ら彼女らが代表するのは、全体としての国民だからです。
(※)自由委任
:議員は出身選挙区の有権者の意思に拘束されずに、全国民を代表する立場から自由に発言・表決(意思決定)できるとする考え方です。
♠豆知識♠
選挙権(憲法15条1項)は、国民が国の政治に参加する権利(参政権)の保障として憲法上認められている権利です(いわゆる基本的人権です)。
そして、選挙権の具体的な内容については、公職選挙法という法律に定められています。
このように、憲法上では、国民の大切な権利とその大まかな内容を定める一方で、具体的な内容については別途個別の法律で定めている、というのが今の日本の法の支配の在り方です。(なので、憲法に定められている権利を制約する内容の法律ができた場合、それは憲法違反ということで無効、廃止になります。)
まとめ
以上から、国民主権でいう「国民」の解釈には、①有権者主体説、②全国民主体説、という2つあることがわかりましたね。
①国民=有権者→直接民主制と結びつく
②国民=全国民→間接民主制と結びつく
ということを理解しておくと、今後選挙が行われるときに、制度の違い(衆参両院の議員選挙や国民審査などなど)について考えるのに役立つと思います。
それでは良い一日を! Schönen Tag noch!