カテゴリー: 街道歩き雑記

初めての街道歩き(川越街道)

 5月1日、3日の二日間にわけて川越街道を歩いた。

 元々は、GWにどこかしら歩きに行きたいな~、新緑狩りにでも行こうかなどと考えて Google map で良い場所を探していたもののなかなかピンとくる場所がなく(本当は高尾山に行きたかったのだが、登山準備が万全でなかったため断念)、川越街道なら家から近いし、どうせなら小江戸まで行っちゃう?みたいな軽いノリで決定したという経緯だ。
 
 Map によれば、家から川越まで徒歩5時間程度で行けるとのことで、過去にお遍路や街歩きなどといった長時間歩いて移動するということをやってきた経験から、案外近いかも?と錯覚してしまったのだった。

一日目(和光市白子~川越駅、22km)

道中にある川越街道の石碑(三芳町にて)

 一日目は和光市白子からスタートした。というのも、元々は川越街道(板橋~川越)を歩ききることを目標としていなかったためだ。とりあえず埼玉のほうに行けばそのうち自然環境が増えて新緑狩りでもできるだろうという気持ちで歩き始めた。
 
 家を8時10分に出発し、国道254号沿いをひたすら川越に向かって歩く。この日は珍しく涼しい日で、日差しも背後からだったので日焼けの心配をせずにかなり快適に歩くことができた。
 
 理研の正門を過ぎ、膝折(朝霞市)付近に入ったのが開始してから1時間程度だったろうか、地名をみて、ここが昔の宿場があった場所なのかとワクワクした。そのあと野火止(新座市)付近に差し掛かった際に、途中で野火止の自然遊歩道に寄り道したくなったものの、ぐっと我慢して目的地に向かって歩き続けた。国道はというと、トラックや業務車両などで交通量が多く、お遍路のときのような長閑な歩き旅とは言い難い状況であった。

 大和田(新座市)を過ぎて柳瀬川に差し掛かると、川越街道と国道463号の2道路が合流する場所だからなのか歩行者はぐるっと迂回する必要があった。だがそれを過ぎるとそれまで片道二車線あった川越街道が突然一車線になり、また交通量も減って、急に田舎の道路感が増した。ところどころ残る雑木林や畑からもそのように感じたのかもしれない。
 
 跡見学園女子大学を過ぎると、写真の場所である三芳町に入った。この石碑の場所から欅(けやき)の並木が続いており、11時近くになり少し暑くなってきた頃合いに木陰の下を歩いていくのはとても気持ちが良かった。昔の旅人も、この場所で少し生き返った気がしたのではないかとしばし思いをはせた。このまま終点まで並木が続くのかなと思いきや、途中で終わってしまったのは残念だった。

 大井(ふじみ野市)の地名が見えてくると、大井宿が川越宿の1つ前ということもあり、いよいよゴールまであともう少しなのだと実感することができた(ただ、青色の案内標識では川越まで残り9kmとなっていたが…)。
 だが、そこから歩けど歩けど、なかなか終点に近づく実感がないという状況が発生することとなる。体感で2kmは歩いたはずなのに、案内標識だと1kmしか変わっておらず、11時半で残り5kmに到達するも、そこからは案内標識の距離表示がなくなり、余計体感時間と歩いた距離とに乖離が生じるようになった。

 焼肉きんぐを過ぎてようやく川越市に入るが、足は既に棒になっており、肉体的疲労ゆえか車の往来が多いことに対し精神的疲労も感じるようになり、ゴールまでとても長く感じた。次回もし再挑戦する機会があったら、絶対に車通りが少なくて閑静な旧道を歩くことをそのとき強く心に誓った。
 
 東武東上線の線路が見えてきていよいよ川越中心街に近づいた頃、そのまま街道をまっすぐ行くべきか迷ったが(まっすぐ進んで市役所前まで行くと終点となる)、あまりにも足が疲れていたため、東武東上線川越駅をゴールとすることにした。だがせっかく到着したものの、ちゃんと川越に来た実感が薄かったため、もう少し頑張って川越八幡宮へ参拝した。
 帰りは東武東上線に乗ったが、自分が今まで歩いてきた地名や川名が駅名になっていること、そしてあまりの早さに感動した。

二日目(成増坂~平尾追分、9km)

起点の板橋宿。平尾追分から撮影(中山道と旧川越街道の分岐地点)

 二日目(5月3日)は、成増坂からスタートした。前日にたまたま白子~成増坂を散歩したので、距離を稼いだ分そこからの出発となる。家から近いこともあり成増にはよく来ていたが、川越街道のなかでは二番目くらいに成増が好きである。木々が生い茂る崖の間を通る坂道は、どことなく昔の街道の面影を残している感じがするからだ(白子~ニトリ成増までの大規模建設現場は殺風景で残念ではあるが)。

 たった10km弱なので肉体的疲労を心配することなく軽快な気持ちで歩いた(二日前に長距離を歩いたばかりなのでおそらく感覚が麻痺している)。この日は快晴で気温も高い、かつ、今度は日差しに向かって歩くので頻繁に水分補給をする必要があった。赤塚を過ぎ、下練馬あたりを過ぎ、上板橋を過ぎ、大山から先は国道の川越街道をそれて旧道である大山ハッピーロードを歩いた。理由は、そのまま国道を進むと池袋へ行ってしまい、昔の起点であった板橋宿にたどり着けないからである。
 
 ハッピーロードは商店街になっており、歩いていてそこが一番楽しかった。和菓子屋さんやお茶屋さん、手作りサンドイッチのお店など、誘惑の宝庫だと思った。だが、歩くなかで再開発反対の文字が目に入り、辺りを見回すと新築マンションが建てられているなど、陰の部分も目の当たりにした。今歩いている大山もいずれ月島のようになるのかと思うと、これから先寂しくなるかもしれないなどと考えた。

 大山の商店街を過ぎると大きな道路である山手通りに差し掛かった。山手通りを横断すると首都高の下を歩くことになるのだが、だだっ広い空間に歩行者も車もほとんどなく、大都会なのに珍しく静かだった。そして中山道に合流し、それに沿って少し歩いた先が、写真の場所である(Google map の平尾追分の場所)。川越のときとは打って変わって、最後は静かにゴールしたのだった。

 以上が、初めて街道を歩いた一部始終である。
 
 歩きは楽しいけどとても疲れる。街道だと主要道路ということもあり車の往来も多く、実に騒々しい。今回の目的だった新緑狩りも結局達成できていない。だけど昔の人が歩いてきたのだと思うとなんだか挑戦してみたくもなる、そんな不思議な気持ちになったのが今回得られたことだ。同じようなことをしている人がいるのかと調べてみると、上には上がいて、私は最近「かなやの旅日記」というチャンネルに出会い、よく視聴している。到底その方の真似などできないけれど、今後も自分のペースで街道歩きに挑戦していけたらいいな、と考えている。

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モモンガ日記編集者。 担当は、法律、政治、経済、その他

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