カテゴリー: 法学雑記

4630万円誤振込問題の報道に感じる違和感

久しぶりの投稿になります。普段は数学についての記事を書いていますが、今日は最近の報道を見ていて思ったことを投稿しようと思います。

最近、山口県阿武町で24歳の男性に4630万円が誤って振り込まれた問題がテレビや新聞をにぎわせている。男性は全額をオンラインカジノで使ってしまったということで、弁護士を通じて弁済の意思を示していたが、直後に「電子計算機使用詐欺罪」の容疑で逮捕された。逮捕をきっかけにして、テレビでは男性の氏名・顔写真や卒業アルバムが公開され、男性の同級生の話やプライベートな情報が連日報道されるなど、男性が「晒しもの」となっている状態である。

私はこのような報道の仕方には違和感を感じている。 もちろん男性が誤って受け取ったお金を返金せずに使ってしまったことは「悪い」ことなのであろうが、これでは報道機関が男性に対して「私刑」を与えているような状態である。私は法律に詳しいわけではないが、日本は「罪刑法定主義」を採用しており、ある行為が罰するに値するかどうかは、裁判官が法律に基づいて判断するものと理解している。「逮捕」というのは被疑者が証拠隠滅や逃亡などをしないように身柄をとりあえず拘束しておくことであり、それをもって「有罪」となるわけではない。むしろ裁判によって有罪が確定するまでは、「推定無罪」として慎重に物事を判断しなければならない。従って、「逮捕」されたことをもって悪人であるかのように報道することは、本来おかしいのである。

今回の一件は、警察が「電子計算機使用詐欺罪」に該当すると判断して逮捕に踏み切ったようであるが、例えばこちらの記事で問題提起されているように、実際に同法が適用可能かどうかは議論が分かれているようである(私は法律の専門家ではないが、元東京地検特捜部検事の方が書いている記事なので、ある程度の信ぴょう性はあるのだろうと思う)。またパソコン遠隔操作事件では、警察の不十分な捜査により5人もの人が誤認逮捕されているし、Wikipediaの誤認逮捕のページをみると、最近でも誤認逮捕は発生していることが分かる。このようは事実から考えても、逮捕されたことをもって報道機関が男性を吊し上げることには疑問をもたざるを得ない。

とはいっても、「お金を返さないのは悪いんだから、罪を償うべき」「法律に該当しないかもしれないなどは屁理屈」といった意見もあるだろう。しかし、「良い」とか「悪い」とかの基準は何なのだろうか?例えば、「人を殺すことは悪いことだ」といっても、国が人を殺すことは死刑という制度によって正当化されているし、一方で死刑制度に反対している人もいる。結局、物事をいろいろな人がいろいろな側面から見て「良い」とか「悪い」とかを判断しているのであって、共通の基準はないのだと思う。従って、報道を見た人が「この人は悪人だ!」と思うことはかまわないが、勝手に悪人を処罰してよい、ということにはならないだろう。そのようなことが許されれば、色々な人の価値観が衝突し、日本は原始時代のような無法地帯になってしまう。

そのようなことにならないように、「どのようなことをしたらどのように罰せられるか」をあらかじめはっきりさせておいて、国民が安心して生活できるようにするものが法律であると私は解釈している。国民が行った行為を罰するかどうかは、感情ではなく予め定めた法律に従って客観的に判断されるべきだろう。今回のように、捜査機関や報道機関の人間の勝手な判断や、「許せない」といった世論感情によって、一方的に断罪されてしまう世の中は、とても危険であると思う。いつ誰がその標的になるか分からないからである。

このような議論を行うと「犯罪者に甘い世の中にしたいのか」という意見が見られるが、「犯罪者に甘い判断をしろ」と言いたいわけではない。むしろ他人を傷つけるような行為に対しては、厳しく処分するように法律を定めて良いと思うし、その法律に従って厳正に対処すればよいと思う。今指摘しているのは、予め定められた法律に基づかない判断によって個人が処罰されてしまうことの危険性である。

予め決められたルールに基づかない処罰は、誰のどのような行為が対処となるかは分からない。「善良に生きていれば大丈夫」というのは幻想である。善良かどうかを判断するのは自分でも、予め定められた法律でもなく、捜査機関、報道機関、世論となるからだ。かつては魔女狩りのようなことが行われたが、「歴史は繰り返さない」と言いきれるだろうか?もちろん法律が万能だとは思わないが、悲しい歴史を繰り返さないためにも、このような議論を続けていくべきだと私は考えている。

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作成者:

数学科の学生で、確率論、統計学を専攻しています。

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