1月15日に配信されたNetflixのアニメ、『プリズム輪舞曲(Prism Rondo)』を2日間かけて観終えた(実際のところ、2日目は夜遅いこともあり最終話だけ3日目に持ち越そうと思ったのだけど、布団に入っても結末が気になり過ぎてなかなか眠れず、結局朝3時に観ました)。
本当に素晴らしいアニメだった。少女漫画だと思って食わず嫌いせず、全ての人に観ていただきたい作品です。生きるとは何か、愛とは何かを描いた壮大な作品なので本当におすすめです。普段あまりブログで発信しない私自身がこうして発信したくなるほど、心を突き動かす何かが秘められている…、そんな素晴らしいアニメなので。
この作品を生み出してくれた全クリエイターの皆様に感謝を申し上げたい。本当にありがとうございます。本作品に出会えて、本当に良かった!!!
以下、所々観た人にはわかるポイントなので、ネタバレしたくない方々は回れ右して、是非一度予告編だけでも見てください。そして1話~3話まで観てみてください。きっと絵と色彩の美しさ、音楽の素晴らしさ、そしてキャラクターの美しさに目を奪われ、どんどん観たくなると思います。
・・・以下、感想・・・
もうね、ほんと心洗われる、美しいアニメなのよ。最終話の最後のキャンバスのシーンで、私の心は浄化されました。絵というもの全般に言えることだけれど、現実世界よりも美しく描くことができる、それが人が描きだす絵の力だと私は思っていて、最後の最後でズバーンと感動の波で洗われました。アニメの映像しかり、キットがキャンバスに描いた絵しかり…。
最後のシーンと、そして最初のほうで二人が白百合畑の中で舞うシーン(前者は作中では現実世界で後者はりりの意識の世界)は、必見の価値がある。
物語の序盤は、the 少女漫画!という感じ。花男の作者と同じということもあり、どこか既視感があるといいますか、元気でまっすぐな田舎娘(西洋から見れば、だけど)が、波止場でかったるげな金髪碧眼美青年に出会うというもの。そして「嫌なやつ」な美青年が、主人公が通うこととなる美術学院の学生で、しかも皆憧れのナンバーワンの天才というね。そんな美青年に助けられたことがきっかけで急接近し、そのうえ変人だと思っていた美青年はイギリス随一の貴族だということがわかり、さらにさらに舞踏会で素敵なドレスを着て一緒に踊るという…
かなり端折りましたが、最初の方はこんな感じで、ところどころ超濃厚カルボナーラをたっぷり食べたときのように重ったるくなるんです。いや、クリームたっぷりのケーキを食べた後みたいな感じか。女性なら、悶えること必至ですね。
もちろん、全部が全部そうではなくて、りりとキットが洞窟に咲く百合を見にイギリスの田舎を自転車で行くシーンは、のどかでとても素敵です。なんだか懐かしいというか。時代が時代ということもあって、りりの回想で横浜が出てくるときなんかは、街並みが本当に美しいんですよね。ああ、日本にも、戦前はこのような景色があったのだなと。私は自然と調和した美しい景色が好きだから、なおさら本作に登場する風景には心刺さるんです。おそらく、かなり調べて描かれたのではないでしょうか。
りり達がキットの館に行った後も、中だるみポイントはありました。これは私だけかもしれないけど。りりってまっすぐ過ぎるけど頑固な部分もあるからちょくちょくキットに食って掛かるシーンがあって、一視聴者としては、「もうなんでそうなるかな~」とやきもきして観ていました。教会のときだってキットと二度と会えなくなってしまうかもしれない船での別れのときだって、りりは自分の本当の気持ちを言えないんですよ。なんでやー!!!って思っちゃいます。それに対してりりを見守る仲間たちはなんと温かく、大人であろうか…。キャサリンは聖人すぎるし、シンも良い人すぎる。途中までは、もうりりはシンと幸せになってくれ、などと思っていました。
だけど、こういうシーン、実はめっちゃ大事だったんですよ。二人のハッピーエンドには絶対に必要だったんだと気が付いたときには、もう感動の嵐。止まらない、溢れ出す気持ち、溢れ出す鼻水。巡る年月、時の流れ…。そうだよね、そんなこともあったよね、などと私もりりやキット、シンと同じように回想しては懐かしむ。
中だるみするストーリーというのは、人生と同じで決してどれも無駄ではない。
今まで中だるみしては結末だけ気になって途中をすっ飛ばしてネタバレしてから作品を楽しむということをしまくっていた自分にとっては、すっ飛ばさないことの大切さを気づかせてくれたのが本作品でした。たしか10話~14話あたりかな、それくらいでなんとなく、とりあえずりりとキットが最後どうなったかだけ観てからまた見返すか~などと思ってしまったんです。それくらい、物語中盤のピーターやキットといった登場人物の状況と心理がちょっと重苦しく感じてしまって。辛い仕事が終わったらとりあえず帰宅して甘いものを食べて束の間幸福に浸る、みたいな。
でも、今回はとりま飛ばさずにしっかり観てみるか、と思った。それで、物語を止めずに流し続けた。そしたらさ、15話くらいで急に面白くなってきたのよ。それまでのどかで美しく、彩りある日常が、急にきな臭くなったんだ…ここで初めて、りり達の世界と私たちが知っている歴史が繋がり、途端に身近なように感じられた。
りり達がいる世界は20世紀初頭のイギリスで、作中ではビッグベンなど既知のロンドンの建物が登場するから、一応現実に存在した街並みを描いていて、まったくのおとぎ話ではないとわかるんだけど、それでもファンタジーだった。途中の田舎町も、ウィンダミアも、ドロシーの故郷(コッツウォルズだっけ)も、昔は存在したであろう懐かしい風景だけど、おそらく今はもうだいぶ変わっているだろうから、やっぱりファンタジーだった。
しかし、サラエボ事件や第一次世界大戦というワードが出てきて、過去ではあるけれどリアルに起こったことだから、現実の世界に引き戻された。ファンタジーと現実がリンクした瞬間だった。
歴史を知っているからこそ、りりとキットがどうなってしまうのかが想像できて(そのときはどちらかというと、悲しい結末を想像してた)、手に汗を握る展開に、私の脳は中だるみなどしていられず、最終話まで夢中になった。
18、19話はアニメ全体が白黒で、りりの心情そのままを表しているようだった。音楽も心なしか無音のときが多かった気がする。物語としてはりりがキットを見送ってから5年後、すなわち終戦後なのだけど、戦争中に悲しい知らせを受け取り、それからというもの、彼女の世界は色を失ってしまった。彼女の近くには常にシンがいて、二人は結婚する身となるわけだけど、それでも世界は白黒のまま。りりは絵を描くのをやめ、シンもりりを支えることだけを考えて、彫ることをやめてしまう。そんな二人を心配そうに見守る家族たち。特に印象的だったのが、りりの両親。あれだけ娘の好きなことをあまり理解しようとしなかった母親が、すごく心配していたのだ。その描写からでも、キットを永遠に失ってしまったと思っているりりの失意、そして生きることへの諦観を十分に感じることができ、私自身、自分の人生と重ね合わせて辛い気持ちになった。
物語はここで終わらず、まさかの嬉しい結末を迎えることとなる。キットと再会したときに、真っ先に抱きしめず、ビンタを食らわせたのは、りりらしくて大いに笑わせてもらった。そしてすぐにハッピーエンドにならないのも、また良かった。りりとしんが結婚するということを聞いたときの、キットの少しの間、そして笑顔。本作品、ほんと何から何まで詩的で小説のようでほんと美しいのよ。このシーンは、キットとりりが相思相愛であることを知っているから、本当に残酷で、こちらまで胸が苦しくなった。あとで何度も見返したのだけど、見返すたびにキットの笑顔がほんと苦しそうで…。
命からがら生き延びて、りりがあの日、あの波打ち際で言った、彼女の故郷である「ヨコハマ」、ただそれだけを頼りに日本に来て、それでこの現実。彼が不在だった5年という年月は、彼が舞い戻ってきた、りり、君をようやく見つけた、迎えにきた、というだけでは決して埋めることのできない、長すぎる時間だったのだ。
それでも彼は託した。彼が5年もの間、どこでどうやって生き延びてきたのかを記した生の記憶である、スケッチブックを。その最後のページには、二人でいつか見つけようと約束した、洞窟の中に咲く白百合のデッサンが描かれていた…。ここでね、りりが本当の本当に最後のページである、絵の裏のページを見ないのはもうほんと号泣。あとのシーンで、キットなりのプロポーズの言葉が書いてあったんだから。イギリスに戻る船の上で、彼がチケットを2枚手に持っているシーンは非常に切なかった。
でも、そのおかげでりりはもう一度絵を描くことを決心する。彼がくれた、たっかいたっかい高級なブルーの絵具で白いキャンバスに描くシーン。ここから、りりの物語はふたたび彩ある世界となってゆく。久方ぶりにテーマ曲も流れて、りりの絵に対する情熱、生きること、それはすなわち絵を描くこと、好きをやっぱり追求したいという気持ちに正直になること、それらが怒涛のごとく描かれていくのにも感動した。そして、絵だけじゃなく、家のこと、お母さんの気持ちにも答えること、それら全てを背負う覚悟を表明するシーンには、りり、本当に大人になったな、と親のような温かい気持ちになった。シンも良かった良かった、再び彫刻の世界に戻ることができて。
シンって当て馬だという人もいるとは思うけれど、私はそうは思わない。本作品は、恋愛作品以上のものを描いていると思うからだ。最初のほうこそ、あれ、もしかしてりりのこと好き?と気が付く描写がところどころに鏤(ちりば)められていて、キットの恋敵みたいに見えなくもなかったけれど(そしてキットやシンといったイケメン男子に良くしてもらっているのにその想いには鈍感という、いわゆる愛され系主人公りりみたいなありがち設定…、えっと失敬!)、中盤でキットとシンがともに美術館を回るシーンの中に、キットがシンに、自分の絵に対する思想の原点となる作品を説明する場面があるのだけど、それを観ていて、これはただの恋愛作品には終わらない、普遍的な人と人との繋がり、心が通じ合う瞬間というものを丁寧に描いているのだと発見して、感動したのだ。このシーン、すなわち、シンがイタリアへ行きたい、自分が生み出したいものの答えがそこにあるのだと自覚するシーンが、先ほど述べた、シンがりりとの婚約を破棄して再び彫ることを決意するシーンの伏線となるから、本作品は芸術家を突き動かすものは何かという普遍的なテーマ、そして生きるとはなにかを問うている、という意味で、壮大で、恋愛作品を超えるものであると思う。
余談だが、白黒時代のシンのほうが、心なしか、いつもよりかっこよく見えた。成長して大人びた、というのもあるだろうし、彫ることを諦め、りりを支えるという、一種の諦観ゆえの物憂げな雰囲気というのもあるだろうし、和服というのもあるだろうし…。それをいうなら、白黒時代のロン毛のキットも物憂げで美しかったけど。なんか、貴族の坊ちゃまをやっていたときでは想像できないくらい苛酷な環境を生き延びてきたからこその、達観して、好きを通り越してむしろ愛おしい、という感じでりりを見る目つきのなんと尊いことよ…。まあ、もともとキットは優しくてアンニュイな目鼻だちではあったけれども。
とりあえず、他にももっともっと書きたいことが山のようにあるけれど、今はこのくらいにして、続きはまた後でゆっくり書こうと思う。今はとにかく、観終わって間もない、興奮の冷めやらぬ間に伝えたいので、このまま公開します。
ぜひ、『プリズム輪舞曲』をご視聴ください!!!