カテゴリー: 歩き旅雑記

山の辺の道歩き~北コース①~

 2月初めに大阪行きが決まったので、奈良へ足を延ばす絶好の機会!ということで、昨年12月に大神神社~石上神宮間(いわゆる山の辺の道の南コース)を歩いた際に、長閑な風景×古代ロマンに満ちたルートにいたく感銘を受けたため、今回はその続きとなる北コースを歩いてみることにしました。

 使用した地図は、近鉄が発行している「北・山の辺の道コース①」(てくてくマップ)です。
 いまどき珍しい手書きの地図で、見どころ情報などが詳細に載っていることから、かなり手間ひまかけて作られたのでしょう、作成者の熱い思いが伝わってきます。
 ただ、縮尺とルートがかなりざっくりしていてこれだけだと心もとないので、Google Map も参照しつつ歩くことにしました。

【概要】山の辺の道とは

  山の辺の道(やまのべのみち)とは、奈良~桜井を山裾を縫うように結ぶ古道のことです。桜井から石上神宮(天理市)まで至る南コースが有名ですが、さらに奈良市まで至る北コースを合わせると、総距離は35km以上あります。
 道沿いには、『古事記』や『日本書紀』、『万葉集』に登場する名所・旧跡が今なお数多く残っているため、古代史や神話が好きな方にはおすすめです。一見の価値があります。また、道中は田園地帯や雑木林、竹林の中を歩くことが多いため、自然の中を歩くことが好きな方や、癒しを求めている方もきっと楽しめると思います。

【ルート①】帯解寺駅~円照寺

 てくてくまっぷでは近鉄奈良駅からスタートになっていますが、前回は大神神社から歩き始めたので同じ方向に進むのが順当だと思い、帯解寺駅からスタートです!
 なお、本来は天理~帯解寺も歩くと山の辺の道を完歩したことになるのですが、前回天理駅周辺を歩いた際に、なんとも形容しがたい異様な空気が漂っていて、それをもう一度味わうのは気が引けるため(天理の皆さま、申し訳ありません!)今回はその区間をすっ飛ばします。
※ ちなみに天理の商店街アーケードから駅まではまるで異世界のようなので、雰囲気を味わいたい方は是非!

 駅を出たまではよいものの、初っ端から迷いました。きちんと Google Map(以降、マップと呼びます)を確認すれば迷わずに済んだのですが、せっかくだし最初はてくてくまっぷだけでどこまで行けるか試したくなったのです。
 えーっと、駅を出て広い道路をまっすぐ進んで分岐点では右に進めばいいのだなと思い、そのまま歩きました。石柱を発見したので(後にこれは「石道標」という違う石柱であることが判明)、合っていると確信して進もうとしましたが、栗の木は見つからないし上り坂(地図とは逆方向に進んでいるため)も見当たらないしで国道169号に到達してから、ようやくマップを確認して、自分が地図よりもずいぶん南にいることがわかりました。

赤印が正しいルート

 てくてくまっぷでは黄色い矢印のあとに右へ進むとあるのですが、これはマップでいうと、国道169号を過ぎてまっすぐ進んだあとのことだったようです。国道169号は車の往来の多い道路でしたが、そこを過ぎると、往来はまばらとなり、のどかな風景となっていきました。

田園風景が広がる

 まっぷでいう「石柱」まで歩くと、分かれ道となるので右へ進みました。実際はやや分かりづらいのですが、上り道になっていれば正解なので、それを頼りにした感じです。そして道中で初めて「山の辺の道」道標、そして万葉集歌碑を見つけました。第一号発見です!道の正しさを確信した瞬間でした。

山の辺の道 道標
万葉集歌碑No.1(クリックして表示)

あしひきの 山に行(ゆ)きけむ
山人(やまびと)の 心も知らず 山人や誰(たれ)
― 舎人親王 巻20 4294番

【訳】
山に行かれたとおっしゃる山人のお心は、私にはわかりません。
お会いになったという山人とは、いったい誰のことでしょうか。
参照:はじめての万葉集(奈良県HP)

元正太上天皇が山村に行幸した際に天皇が詠んだ歌に対する返歌。その地に由来する歌が石碑となっている。

 そのままてくてくまっぷの通りに道を進んでいき、小さな池と万葉集歌碑第二号(実際は第三号)を発見しました。
(まっぷ的には池と第一号歌碑との間にもう一つ歌碑があるのですが、当初は歩くことだけを目的にしていたので撮りそびれました…)
 途中、畑の中にぽつんと存在する、入り口に白い鳥居を構えた小さな森が気になりましたが、まだまだ先は長いので寄りませんでした。ああいう場所ってどこか神秘的でいつまでも心に残るものなんですよね…。

万葉集歌碑No.2(クリックして表示)

あしひきの 山行(ゆ)きしかば山人の
朕(われ)に得しめし 山づとぞこれ
― 元正天皇 巻20 4293番

【訳】
あしひきの山に行ったところ、仙人が私にくれた
山のみやげですよ、これは。
参照:万葉百科 奈良県立万葉文化館

 池を過ぎると左手に林へと続く石の階段が現れました(神社の近く)。その先は人っ子一人いない細い自然道が続いており、ああ、ここからいよいよ山の辺の道という名の通り、山中に入るのだなと思いました。
 それまではのどかな田園風景といっても、一応建物や人の姿を目にしていたので、行く先を思うと若干怖くなりましたが、もうここまで来てしまったし行くしかない!と思って進みました。
 その日は晴れていることもあり、自然道は比較的明るかったです。竹と木が混在した道をしばらく進むなかで、寺のような遺跡や弘法大師の霊跡を目にしました。今はあまり人の通っていないように見えるこの道が、実は1000年以上前から様々な人が歩いた歴史ある道なのだと思うと、不思議と孤独感からくる怖さが薄らいでいく気がしました。

雑木林の中
自然道を抜けると円照寺の参道に出る。
写真と反対方向が円照寺。
円照寺入り口
*円照寺(クリックして表示)

圓照寺(えんしょうじ、円照寺)は、奈良市山町にある臨済宗妙心寺派の尼寺。山号は普門山(ふもんざん)。1641年に文智女王が創立。斑鳩の中宮寺、佐保路の法華寺と共に大和三門跡と呼ばれる門跡寺院。拝観は不可。(参照:Wikipedia

【ルート②】円照寺~八坂神社

 雑木林の自然道を抜けて円照寺参道に到達した後は左に曲がって進みました。途中、進行方向右手に山の辺の道の道標を発見しましたが、まっぷだとその先は通行止めになっているようなので、そのまま参道を歩き続けました。バス停に着くまでの間に、右側のどこかに崇道天皇陵へ延びる道があるようなのですが、結局場所がわからずそのまま道路まで出て、向かうことにしました。
 崇道天皇陵付近まで歩くと池を発見し、円照寺の森へ続く道もあったので、きっとまっぷの通り、道はあるのだと思います。ただ自分はまっぷ通り歩けていないので、確証はないです…すみません。
※崇道天皇陵ですが、非業の最期を遂げた早良親王の陵(お墓)のため、なんだか写真撮影するのは気が引けて撮影しませんでした(詳しくは奈良市のサイトをご参照ください)。

*崇道(すどう)天皇陵(クリックして表示)

早良親王の陵(みささぎ)。
長岡京・平安京への遷都、蝦夷征討などを行った桓武天皇の弟。藤原種継の暗殺に連座した疑いを受け、淡路国への配流の途上で、身の潔白を証明するために絶食し、自ら命を絶ったとされる。
参照サイト:奈良市観光協会

 

 また、陵付近で万葉集歌碑第三号を発見しました(ただし写真にもある通り、これは万葉集というよりかは日本書紀に出てくる歌(歌謡)で、その一節を書いているようです)。
 ちなみに、古事記や日本書紀に出てくる歌は、万葉集に出てくる和歌とは異なるのだそうです。和歌とは呼ばず、「歌謡」と呼ぶのだとか。私自身、古事記や万葉集にはかねてより興味があり山の辺の道を歩いたわけですが、和歌や歌謡の世界については詳しく知らなかったので、こうしてブログに書き起こすなかで初めて知った次第です。なお、こちらのサイトが参考になりました。

円照寺へ延びる道
万葉集歌碑No.3(クリックして表示)

八嶋国(やしまくに) 妻(つま)枕(ま)きかねて 春日(はるひ)の春日(かすが)の国に 
くはし女(め)を ありと聞きて
― 勾大兄皇子 日本書紀 96番

【訳】
この八島の国のどこにも、妻として共に寝ることのできる女性を得られずにいたが、春日の国に、立派で美しい女性がいると聞いて…
(注)『日本書紀』の勾大兄皇子(まがりのおおえのみこ、後の安閑天皇)が春日皇女(かすがのひめみこ)に求婚した際に詠んだ歌。八島の国とは、ざっくりいうと日本の国土のことを指す。また、春日の春日の国とは、「はるひ」は「春日(かすが)」の枕詞で奈良の春日の地をいう。

 

 てくてくまっぷの通りまっすぐ上へ進むと嶋田神社が見えてきて、そこにも万葉集歌碑(第四号)がありました。神社までの道中に白い花を咲かせた梅の木が一本あり、その綺麗さに心が和みました。

万葉集歌碑No.4(クリックして表示)

あをによし 奈良の大路は 行き良(よ)けど
この山道は 行(ゆ)き悪しかりけり
― 中臣朝臣宅守 巻15 3728番

【訳】
青丹美しい奈良の大通りは行きやすいが、この山道は困難なことだ。
(注)「あをによし」は奈良にかかる枕詞。流罪となった中臣宅守(なかとみのやかもり)が結婚相手を想って歌ったもの。
参照:はじめての万葉集(奈良県HP)

 

 そのまま道なりに白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)まで歩いていくと、付近はやや標高が高いのか、奈良の平野と山々を見渡せるスポットがありました。さらに空を見上げれば白鳥(しらとり)が一羽、優雅に飛び去っていく…「白」がつく神社に「白」き鳥、このあたりには何か不思議な力でもあるのでしょうか。

奈良の風景を見渡せる場所
万葉集歌碑No.5(クリックして表示)

春日野(かすがの)に しぐれ降る見ゆ 明日よりは
黄葉(もみち)かざさむ 高円(たかまと)の山
― 藤原八束 巻8 1571番

【訳】
春日野に時雨の降るのが見える。明日からは黄葉を挿頭にして遊ぼう。高円の山よ。
参照:万葉百科 奈良県立万葉文化館

(注)下の句の訳として、「明日からはきっと黄葉を插頭にすることだろう高円の山は」(=高円山が一気に黄葉するのを擬人化した表現)とするものもある。
高円山は奈良市東部、春日山の南にある山のことで、後述する白毫寺はその西麓にある。


 てくてくまっぷにも書いてある通り、白山比咩神社近くにはここまでの道中で唯一トイレがあります。そこから先は奈良市街地付近まで一件もないので、これから歩かれる方はご注意ください(ちなみに白毫寺(びゃくごうじ)にもありますが、拝観料は500円かかります)。

 その先はまっぷ通りなので迷うことなく進めた…というのもつかの間、カーブにさしかかったあたりで盛大に迷いました。まっぷにもあるように山の辺の道の道標を発見したのですが、その先が明らかに林の中の道で、全然違うところへ行ってしまうのではないかという不安が一つ、広いアスファルト道路ってどれだ?と思い、Google Map を見てもいまいちわからなかったというのが一つという、計二つの理由でまったく違う方向へ進んでしまったのでした(心配性なのと方向音痴というのが最大の要因です…)。

山の辺の道の道標(現場写真)
林の道の中で見つけた道標
(まっぷ未記載)
消えかかっているが矢印の通りに進む

 歩きながらマップを確認して自分が全く異なる方角へ進んでいることがわかり、急いで引き返して道標の示す道へ進んだわけなのですが、完全に時間をロスしました。
 まあ、人生には無駄なときは何一つないなどと半ば慰めるように自分自身に言い聞かせましたけど、今回ばかりは誤った方向に進み続けてもどこかで正規ルートに到達できる可能性はなかったので…。歩き旅の際は直感ではなく目に見える事実を信じるようにしようと心に誓いました(笑)

 先へ進むとイノシシ対策の柵を発見しました。どうやらその柵を開閉して進むようです。これまで歩き旅のなかで、そうした経験はなかったのでとても新鮮に感じました。柵を過ぎて急な階段を上り、右側にあるため池を過ぎると、ようやく、てくてくまっぷ上の中間地点である八坂神社に到達しました。

 ちなみに八坂神社付近は「鹿野園(ろくやおん)」という珍しい地名でした。その由来は奈良時代にまで遡り、当時日本へ渡来したインド僧、菩提僊那(ぼだいせんな)がこの地へ訪れた際に、釈迦が「鹿の多く住むところ(鹿野苑)」で悟りを開いたとされる仏教の聖地、サールナートと似ていたことから、『鹿野園』と名付けたそうです。なお、菩提僊那は752年の大仏開眼供養会の導師を務めた僧でもあります。
 

八坂神社
万葉集歌碑No.6(クリックして表示)

猟高(かりたか)の 高円山を 高みかも
出で来る月の 遅く照るらむ
― 大伴坂上郎女 巻6 981番

【訳】
猟高の高円山が高いからだろうか、出て来る月が遅く照るのだろう。
参照:万葉百科 奈良県立万葉文化館

(注)大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ) は万葉集の編纂に関わったとされる大伴家持の叔母。万葉集には84種収録され、飛鳥時代の女流歌人である額田王(ぬかたのおおきみ)以後最大の女性歌人。

【所要時間】

 帯解寺駅から八坂神社まで、おおよそ2時間弱かかりました。5km 程度だというのに、迷ったり写真を撮ったり等で思いのほか時間がかかってしまいました。この日は朝に大神神社へ行き、山の辺の道を歩いた後にそのまま春日山の原始林へ足を延ばす予定でしたが、時刻は既に13時。原始林までは難しそうなので、後はゆっくり歩くことにしました。

 次回は「山の辺の道 北コース後編」ということで、八坂神社~春日大社までの記録を綴ろうと思います。

八坂神社付近で見つけた蠟梅

作成者:

モモンガ日記編集者。 担当は、法律、政治、経済、その他

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